葬儀を終え、とりあえずの仕事が終わった夫は夜7時半に寝てしまった。
それでなくとも義母に家に毎日通い、犬の散歩や買い物に通ってきた夫であるが、12月16日に義母が心筋梗塞になって以来、亡くなるその日まで仕事は通常通り、病院、兄弟、身内や友人知人への連絡、衣類などの差し入れの度に病院に通い、休まる日は無かった。
1つ荷が下りた眠りであったと思う。

私は子供達を寝かせ、下でテレビを見ていたのであるが、夜10時になり娘が泣きながら下りて来た。
我慢していた気持ちが溢れたのだと思う。
私は30分ほど膝に娘を抱き、義母の事を話した。
「あの家は40以上も内覧して、あなたのおばあちゃんが妥協して買った家。絶対条件として出した、町まで乗り換えなしで行けるバス停が目の前にある事、子供が多く住む安全地域である事、近隣に一切の市営住宅が無い事、郵便局を含む商店が徒歩圏内にある事、私達の家から車で5分以内で行ける事、子供達の学校から近距離である事を含む物件はあの家しかなかった。でも1度見た時は気に入らず、7か月後に見た時は気に入った・・というよりも妥協して買った。けれど結局好きでは無かったのは、大好きだったおじいちゃんがいないから。だからね、どれだけお母さんがおばあちゃんをハッピーにしようと頑張っても、どれだけ美味しいケーキを焼いても、おばあちゃんは心底ハッピーにはなれなかったの。それはおじいちゃんが死んでしまった悲しみから脱する事がとうとう出来なかったから。それに大好きなお風呂にも、もう自分で入る事が出来なくなっていた。だからシャワーを何とか浴びてはいたけど、日によっては手が肩以上上がらず、髪も洗えない日もあった。
そう遠くない将来、おばあちゃんは老人施設に入るか、またはお父さんやお母さんがおばあちゃんを四六時中助けねばならない生活が始まっていたかも知れない。
そんな中で体中の痛みに耐え、月2回の血液検査と輸血の為に病院に通うたび、いつ自分がコロナに感染するか分からない恐怖を今年も続けねばならない生活を強いられ、本当におばあちゃんは長く生きたい、それでも生きて帰りたいと思ったかどうか?あなたはどう思う?」と娘に聞いた。

娘は「そういえば、おばあちゃんはコロナが無くなったら、この家の前のスペースを改造して寝室と浴室を作り、1階で生活したいと言っていた」と言った。
私は「そう、もう二階建ての家に暮らす事も苦痛だったから。だからこの家を買う際、私はおばあちゃんの出す絶対条件に沿う家はここしかないけれど、2階建ては将来的にキツイのではないか?それならば、いずれかの条件を外し、平屋建てを探してみませんか?探せばあるはずですと伝えるも、おばあちゃんは大丈夫だと言った。でも結局、この家は嫌いな家となってしまった。残念だけどね・・。それに同居の話も持ちかけたけれど、おばあちゃんは同居は嫌だけど、二世帯なら良いと言った。でもおばあちゃんの二世帯住宅の絶対条件がね、最低ベッドルームが4つの家だったの。そうすると、おばあちゃんの家側にベッドルームが4つ、私達の家にベッドルームが4つある、合計8つのベッドルームがある大きな家を探さねばならないという事になる。その条件を譲らなかったおばあちゃんに対し、アホか!!とお父さんが匙を投げた。まあそうよね、おばあちゃんが1人で暮らす家に何で4つもベッドルームが要るねん・・となるわね」と話した。
「結局、今の家にベッドルームが4つあるのだから、これでエエがな」という事になり、同居の話も二世帯の話も消えたけど」と娘に話すと、「大変やったんやね、おばあちゃんって・・」と苦笑いした。

私は「そう、おばあちゃんが満足する暮らしを提供する事はとても困難で、やってもやっても終わりが無かった。同居や二世帯で住めば、せめておばあちゃんが訴える孤独は解消できたと思うけど、おばあちゃん本人が出してくる家の条件が大きすぎた。だから満足しないまま生き続けねばならないおばあちゃんが、本当はどう生きたかったのか、今となっては日々のおばあちゃんが出してくる要求にこたえるのが精一杯で、お父さんもお母さんもどうしてあげる事も出来なかった。だから大好きなおじいちゃんの元へ行けたのなら、これがおばあちゃんにとって一番叶えたたかった事じゃないかなと思う」と言うと、娘も腑に落ちた様子で「そうやね、やっとおじいちゃんのトコに行けたもんね」と言った。

結局、娘のベッドに添い寝して寝かしつけたら朝になっていた。
スパークリングワインを飲みながら、鬼平犯科帳のドラマを見ようと思てたのであるが、添い寝してしもたので飲めずじまいであった。
まあ、また飲みたいと思う日に飲めばよい。
そんなん見てんと、あんたもハヨ寝なさいという意味だったのかと思う。
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Source: イギリス毒舌日記