4日に呼吸困難で救急搬送された義母の家を消毒しに行かねばならない事から生活は再スタートを切る。
行政が来て消毒するのかと甘く考えていたが、そんな事はあるはずもなく、自分達で買った市販スプレーで拭くしかない。

義母の家のダイニングテーブルには、呼吸困難を起こすまでの様子がそのまま残っていた。
セロテープとクリスマス用の包装紙がそのままになっていた。
誰かのプレゼントを包んでいたのだろうと思う。

食器やカップなどは食洗器に入ったまま、寝室のベッドのシーツも乱れ1つ無くホテル並みに完璧になっていた。
髪の毛1本落ちていない事を見ると、運ばれた日の朝も下痢と熱がありながら掃除をしたのではないかと思う。

キッチンには私からのクリスマスプレゼントが開けられた状態で置いてあった。
退院してきた日、夫に持って行ってもらったのであるが、その夜に開けたと思われる。
しかしながら、友人らから送られて来たプレゼントは全て未開封のままであった。
きっと明日にでも開けようと思っていたのだろう。

昨日、病院から電話があり、義母が残して行った着替えや時計、宝石などを取りに来てくださいとの事だった。
看取ってくれた看護師さんからだった。
「宝石ですか?」と夫は尋ねた。
「お母さんは指に指輪を3つされた状態で入院されてたんですが、そのうちの1つを亡くなる3時間前に抜き取り私に託されました。それはお嫁さんに置いて行くから衣類の間に一緒に入れておいて。私が逝った後に取りに来て知らずに洗ったりしないように」と言ったという。

夫が私に「お父さんから貰った大事な指輪は3つとも誰にも渡さず棺桶に持って行く」と言っていたうちの1つを最後に抜き取ったのは何故やろか・・」という話になった。
孫娘にも託さなかった指輪を抜いた。
やっぱり自分の生きた証を私から孫娘へ残したかったのではないだろうか、忘れられてしまうのではないかという恐怖が襲ったのではないだろうか・・
月曜日、夫が取りに行く事になった。

これからこの家に通い、義母のものを処分していくのは辛くもある。
この家そのものも私が41件の中からやっと義母を納得させて購入に落ち着いた家であるし、亡き夫がいない家など意味が無いと最後まで好きにはなれなかった家ではあるが、しかし1人暮らしの老女が暮らすには最高の条件の立地を選んだ自分はホンマにようやった嫁やったと褒めてしまう今がある。

豪州に住む夫の真ん中の兄は義母の現金の遺産相続は放棄した。
私達夫婦が葬儀から片付け、家の売却までするに費用も時間もかかるうえ、10歳の老犬を飼うには今後病院費用など膨大にかかるかもしれないので、家を売却した時のお金だけ貰えれば良いと言って来た。
しかし、一番上の兄は「自分は母さんから口約束で遺産相続から別に200万をもらうという約束をしていた」と主張し始めた。
遺言状には書かれていないが、「そう約束した」と言う。
まあ想定内である。

昨日、義母の死亡診断書が届いた。
来週からこれを持って、夫は仕事の合間に銀行やら役所に走り回らねばならない。
悲しみの中でせねばならない死後の諸事、父親が亡くなった時も夫は経験しているから、どれほど時間を取られるか知っている。
それだけに真ん中の兄は「何も出来ずに申し訳ない」と言って来た。
一番上の兄は「夏頃までに家を売れるよう片付けなど急いでくれ。売った家具は合計いくらになったか知りたい。多額なら半額欲しいが、その手伝いはロックダウン中なので出来ない」と言って来た。

月末、義母の葬儀がやっと出来る。
29日に遺体安置所から出せる予定であると連絡があった。
葬儀当日、最も嘆き悲しむであろう長男が、「長男の俺が一番母親と生きた年数が長かったから」という理由で弔辞を読みたいと申し出た。
やりたいならやればエエ。
義父の時もそうだった。

葬儀は親族のみ全員で11人参加、同居する者同士が席を共にし、別世帯は2メートル以上離れて座る事になる。
葬儀の後の会食もハグも当然無し、葬儀が終わればそのまま互いに手を振り帰宅がルールである。

うちの親もいつも言う。
「何もして来なかった人間が葬式で一番泣くねんで」と。
本当にそうだと義父を亡くした時に知った。
親の言う事は当たっていると、この歳になって効いて来る。
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Source: イギリス毒舌日記