夫は淡々と葬儀社への連絡や友人知人への連絡などを1日やっている。
キッチンに7年半前、つまり義父が亡くなる半年前に一緒にテネリフェ島に行った時に撮った写真を飾る事にしたのであるが、その頃の義母は既に腕や足など全身に原因不明の青あざが大量に発生し始めた頃で、プールサイドで「これも白血病から来るもんじゃないかと医師が言うけど、原因は分からない。水着になるのが嫌だ」と私に語った事を思い出す。

あの時も大量の薬を持って行かねばならなかった。
夫が涙一つ見せずに連絡事を処理するのも、この苦しみを7年間訴えられ続けてきた解放感から来るのだろうかと考える。

義母が亡くなって3日後の土曜日の事、私はふと夫に「今日は電話が鳴らないね」と言った。
夫は「土曜日に電話をかけて来ていたのはお母さんだけやから。電話かけて来る人がいなくなったら、こんなに電話が鳴らんもんやな」と言った。
そう思うと、いかに義母が息子の休みに電話をかけ続けていたか、自分の家に呼んでいたかが分かる。
土曜日とは、こんなに静かな日であった事を初めて知った気がする。

私は子供達のオンライン授業で午後3時まで取られてしまう。
その間にママ友から学校に対する不満と教師に対する怒りのメールが来て、それを読みながら思わず笑ってしまったり、返信するのに頭が一杯で、そうしながら義母が亡くなってしまった事を偲ぶ時間も無いが、それで良い。
そうやって日常に戻るのだと思う。

豪州に暮らす義母の次男も「葬儀には行かない」と言って来た。
義母が残した遺産はどっちにせよキッチリ三分の一にして現金化し、送金するのだから来る必要もない。
義母が持っていた貴金属の最も値段の高い物は7年前、既にうちの娘に「唯一の孫娘であるから」という理由で譲りうけているし、車は私が義母の送り迎えようにほぼほぼ使っていたので私が譲りうけるように遺言書に書かれてある。
それに豪州に住む次男も嫁も、今は働かなくとも4つの家を他人に貸し、家賃収入で優雅に暮らしているし、嫁が乗っている車だって新車のBMWとアウディであるし、付けている時計もロレックスであるし、義母の持っていた物より値段で言えば高いから、嫁は義母から欲しいものなど無いと思う。

あの人が身に着けていたから頂きたい・・のではなく、それが世界でどれほど知名度のあるブランドか否か、それが今雑誌でよく見かける物なのか否かでしか判断しない女にとって、義母の何をも興味はないであろう。
ティファニーだって「ティファニー」という名だけでパリで買って来たが、嫁は「ティファニーといえばパリ、パリと言えばティファニー」と喜んでいた。
豚の真珠とはこの事だと思った。
「ティファニーはパリ生まれではなく、アメリカですよ」と教えてやったが、恥ずかしかったのかノーコメントであった。

義母に感謝すべきは、最も警戒レベルが高いこの時期に亡くなった事で、豪州から嫁が葬儀に来ない事である。
義母も「来て欲しくなどない」と生前言っていたが、その通りになったと思うと、義母の最大の抵抗であり、「死にたいが自分で死ねない」と言っていた義母の思い通りになったような気もする。

これで良かった・・ですよね?と義母に問いかける日々である。
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Source: イギリス毒舌日記