義母の命の灯が少しずつ消えかけては燃え、消えかけては燃えているのではないかと思う。
そうやって人生を終えて行くのかと義母を見ていてそう思う。
私が義母に最低限に尽くす理由、それは優しさと言うよりも感謝から来ている。

義母の結婚は決して幸せから始まったわけではなかった。
義母の父親の両親はアイルランドからの移民で、いわゆる出稼ぎ労働組と呼ばれる人達であった。
何処の国にも存在する、お隣の国の人との結婚を反対する思想があるように、義父の母親がアイルランド人の血が流れる女性と我が息子との結婚を猛反対した。
自分の息子の嫁にアイルランド人の血が混ざっているということは、自分達が辱めを受けるも同然であると許さなかった。
しかしながら義父と義母は結婚を強行。
1年後に子供が生まれ、義母は3人の子供を持ったが、一度たりとも義父の母親は孫を抱かなかったし、おばあちゃんと呼ばせる事を死ぬまで許さなかった。

義父の母親はかなり裕福な家の娘で、結婚する時も乳母や使用人を一緒に連れて来た人である。
我儘に育てられ、白人第一主義の人でもある。
英国白人以外を奴隷だと思っていたような人であったから、義母は相当苦労したし、私が嫁に来るときも、「どんなに暴言を吐かれても気にしないように。最低な思想の人だから」と義母に言われていた。

私が嫁に来た時、義母はそんな姑が一人で暮らす家の掃除に週1で行っていた。
お金がある人だったので掃除婦を雇った事もあったが、掃除を仕事とする人に対してあまりに酷い差別発言をする人だったため、100人以上は掃除婦さんが変わっただろうか、もう近隣の専門業者からも個人的にも誰も来てくれなくなったため、義母がする事になったという。
私も英語学校と保育園の仕事が休みの土曜日に一緒に掃除に行く事もあったが、アイルランド人がやるのだからと、トイレの壁に便をなすり付けたりしていた姑。
それを顔を歪ませ黙ってやっていたのは紛れもなく義母である。

それでも義父母は毎週水曜日に、この感謝のカケラも無い母親(義母からすれば姑)をレストランへ連れて行き食事を食べさせ、毎週日曜日は夕飯を食べさせるために迎えに行って、送って行って・・とやっていた。
義母は姑が自分に暴言を吐き続け、嫁と認めていないままであっても、黙って姑が来るのを受け入れ、日曜日に食べるローストディナーを作ってやっていた。
感謝の言葉1つない姑に嫌気がさしながらも義母がやっている姿を、1年義父母と同居してた私は見てきた。
義父がこの白人絶対主義の母親から生まれた息子とは思えないほど寛大で優しく、気遣いの出来る人だったが、皮肉にもそんな心優しき義父を産み育てたのは、この差別当然の姑なのである。

7年前、義父が突然他界した際、義父の母親はまだ生きており、カーライル病院の横にある老人施設に入っていた。
「あなたの息子が亡くなった」と姑に伝えに行った義母に対し、「お前と結婚したからこんなに早く死んだんだ」と言い、義母は顔を殴られた。
一緒にいた私に対し「中国人が私の部屋で何してる!?出て行け!!」と叫んだ。
それから間もなくして義父の母親が他界。
一番憎かった姑の葬儀を行い、墓を建てたのも義母である。

義母はいつか私に言った。
「私が半分アイルランド人であるために、夫の両親から酷い発言と扱いを受けたからこそ、自分の息子がどんな国の人を連れて来ても、絶対に受け入れようと決めていたの」と。
こういう背景を同居という形で見て来たからこそ、いま我儘になった義母に対しても最低限の事をやってやろうと思うのである。
日本にいながら国際結婚していれば、こんな義母の苦労の一面など見る事も出来なかったし、イギリスに来ても別の家で暮らしていれば、夫の祖母の家の掃除に一緒に行く事もなかったと思う。
義母を知る事が出来たのは、同居があったからである。

義母も苦労人である。
当時の時代背景もあったし、少なくともここに来て私が経験した差別とは比にならないのではないかと思う。
私が何故優しく出来るのかと聞かれれば、ここが根源であると思う。
今出来る事をする、これは義母から受け継がれた私の嫁としての姿なのである。

今年は本当に大変な年でした。
いつもながら皆さんからのコメントが実に楽しみであり、そして学ぶ事も多く、まるで世界中に日本のお友達や人生の先輩方が沢山出来たような錯覚に陥る事が出来たおかげで、年末はホームシックになる事もなく、義母に対してババア!!と怒る事に集中できたのも、ひとえに皆様の励ましのお言葉のおかげでございます。
どうか良いお年をお迎えくださいませ。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
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Source: イギリス毒舌日記